インタビュー|Ayano ― 色彩の旅
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										GAROU
									
								

“都会の静寂”に光をあて、その輪郭を写真に残してきた kei Igarashi さん。
見過ごされがちな寂しさを見つめる視線には、静かな優しさが宿っています。
今回は、その創作の原点、そして作品に込めた思いについて伺いました。
都会は物で溢れているのに、なぜか共通して皆、どこか寂しそうに見えるんです。
だからこそ、孤独や静寂にフォーカスし、その“輪郭”を描きたいと。
それを残せる手段が僕には写真しかなかったんです。
だから「アーティストになろう」と思った訳じゃなく、
気づけば、写真だけが残っていたんです。
にじむネオンや濡れたガラスは、僕にとって“演出”ではなく“都会の素顔そのもの”に映ります。
光にあふれるにぎやかな街なのに、なぜか寂しさが漂う――。
その孤独は昼よりも夜のガラス越しにふと現れる気がします。
偶然を待つというより「出会える場所」を探して歩く感覚に近い。
だから必然と偶然の境界はなく、切り取るのではなく「孤独の輪郭を見逃さないこと」
それが僕の写真の特徴だと思っています。
後から自分の撮った写真を見返したときに、意図せず「都会の孤独」が映っていたときでしょうか。
例えば、街中の雑踏を撮った一枚なんかがそう。
何十人も人がいるのに、一人として目が合わない。
それぞれがスマホの光を見つめて、青白い顔をしてる。
人で溢れている街のはずなのに、誰ともつながれない孤独を切り取った瞬間でした。
日本のアーティストで言うと、森山大道先生の「新宿」シリーズです。
粒子の荒いモノクロ写真に、
都会の空気や風や孤独や汚れみたいなものが全て集約されているんです。
見たことのない方は百聞は一見にしかずです。
表現の鋭さや自然にそれができてしまう凄さをぜひ味わってみてください。
光の移ろいを感じながら街を歩いたり、静かなカフェでノートに言葉を書き留めたり。
そうした時間があるからこそ、夜の光景に出会ったときに敏感に反応できるのだと思います。
僕にとって昼は“準備の時間”、夜は“対峙の時間”のようなものかもしれません。
写真家としていろんな写真を撮ってみたいとは思っています。
プランを立てられていないところが僕の良くないところだとわかっているのですが、
都会だけにこだわるのか、それとも都会以外にも活動範囲を広げるのか。
そこをまず考える必要がありそうです。
